戦国時代、熊野水軍を率いて活躍した安宅一族の史跡など熊野地方の歴史文化を学びます。
○最大人数:40人
○所要時間:3時間
○実施期間:通年
○体験マップ:ー
小山皐成
文化4年(1807年)久木の旧家に生まれ、天然痘(癌宿)撲滅のため国産の牛痘苗の育成に日本ではじめて成功し、その普及に尽力した医師です。悲惨な天然痘禍から日本人を救った恩人として仰がれ、紀北の華岡青測と並んで紀州が生んだ医学界の先駆者です。
当時長島、寺山地域は川を目の前にしながら、水稲の栽培が出来ませんでした。安居の庄屋であった鈴木家は、この土地に灌漑することを悲願とし祖父の代に調査をして金比羅さんの山すそに270mの暗渠を掘ればよいと確信。1799年重秋59才の時着手、1805年に完成しました。以来、安居の村には水争いのけんかもなくなり、秋には黄金の稲穂が村の水田をうめつくし、人々のくらしも豊かになりました。鈴木家は三代にわたり私財と命をなげうって地域の為につくしたのです。 この暗渠と用水路は200年以上経った今でも、昔のままに使われており 、安居の人々に大きな恵みを与えています。
天狗の手形・足形
江戸時代の中期、ロヶ谷に山の守り神「天狗」と友達になった男がいたとされる。そしてその家の床下には今も天狗の手形と足形が残っています。
※見学は要予約
戦国時代、熊野水軍を率いて活躍したとされる安宅一族の本城跡。現在では石垣の一部が残されています。また安宅本城の約500メートル北の八幡山に安宅一族が築いたとされる山城の跡が残り、土塁に固まれた曲輪・屋敷跡のほか空堀が残っています。